直近 15 年間のふりかえり (2008 〜 2022)
自分の人生が一冊の本になるとしたら、たぶん 2008 年から 2022 年までがひとつの章になるんじゃないかと思っている 2023-02-06 の自分がこのページをつくった。ここまでの長い期間を対象にふりかえりをやるのは初かも。 ざっくり章立て
1983 〜 1999 : 生まれてから義務教育を終えるまで
1999 〜 2008 : 高専に入学して情報工学・情報科学に触れて大学・大学院でウェブに魅せられるまで
2008 〜 2022 : 上京、会社員、ウェブのお仕事、ベンチャー、スタートアップ、資本主義
ふりかえり
社会への影響力はどんどん大きくなってきた
次の 15 年間を想像してみても、しばらくは影響力を増していくのではないか
働きやすい現場がたくさんあって、わりと働きやすい業界だとは思う
直近 15 年間を見ると、成長産業ってこともあって上昇気流に乗っていたと感じる
上昇気流のおかげで高く飛べているのを「個人の実力で高く飛べている」と勘違いするのは怖い
ビッグ・テックの 2022 年からの大量レイオフの様子を見て、ずっと右肩上がりなわけじゃないと感じる 「自宅でこなせる作業が多い」は、わりとそうだと思う
「おしゃれなオフィスでウェイ」みたいなやつは、業績に左右される表層
稼げる職業になっていった
中高生が「なりたい」と思うような職業になってきた
調子に乗らないようにしたい
これはそういうもんだと割り切って、スマートフォンの次の普及デバイスを待つ 格差を小さくする方向に作用するやつ
逆に「これまでの勝者が、ますます勝つ」みたいな構図はぜんぜん好きじゃない
ある程度の裁量を持たせてもらったときにいちばんうまくやれる感触 縛り付ける系のルールが多いとパフォーマンスが低下する 「信用されていないんだな」と感じてしまうとモチベーションが低下する
「きっちりやって結果を出す」より「のびのびやって結果を出す」の方が難易度が高いとは思うけど
前者の練度が低くてのぅ
「管理する」のは好きじゃないけど「いい感じにする」のは好き
「いい感じにする」を期待されるマネジメントであれば、今後もやることはありそう 人数規模
たぶんだけど 50 から 150 人くらいでワイワイするのがいちばん好み
「巨大なもの」に興奮する人がいるってのはわかったけれど、自分はそうではないっぽい
拡大志向ではなさそう
一人当たりの生み出す価値が大きくなるのがかっこいいと感じる
住む場所
ぼくとしてもそうだし、妻も含めた大和田家の総意としてそうなる
物理的位置の制約を受けない生活スタイルを確立せねば〜
ライフスタイル・ワークスタイル
定常的なハードワークは、2023 年の初頭の時点では「避けるぞ」という気持ち 夢中になれることが見つかって短期的に没頭しちゃうのはいいことだと思っている
もうすぐ 40 歳ってことで、体力勝負の土俵に乗りたくない
「稼ぎを増やす」よりも「働く時間を減らす」を優先したい
言うのは簡単だが?
週に 2 日か 3 日の労働で生計を立てるってのは検討したい
身近に実践している先人たちがいるおかげで、現実味をもって考えることができている
人生を豊かにしていきたい
たぶん、そのためには時間的余裕を真剣に考えることが大事 空間的余裕は、都会に住まなければわりと確保できるってことがわかってきた 今後?
路線
直感的に、おもしろそうなやつに手を出す
2007 年頃の自分はこの路線を選択した、とあとづけで言えそう
直感ギャンブルに勝ったおかげで 2008 〜 2022 年はいい条件で楽しく過ごしてこれた
次も直感ギャンブルでいくのか?
戦略的に、到達したい像からの逆算で
「こういう暮らしをしたい」と思っている形はあるわけだから、それの実現を目指す道
「逆算して組み立てる」をうまくやれる自信はないか〜
手堅く、相対的に不確実性の低いやつ
手持ちのスキルとこれまでの経験を活かして、手堅く成果を出す
「少なくとも、この選択肢はある」と思えているおかげで冒険できるところはあるな
なんにせよ「追い風をつかむ」ができれば、いい感じに進んでいけるはず
伸びている領域・今後の大きな成長が期待される産業に関わりたい気持ちはある
直感でいいカードを引けるか…?
ちなみに 2019 年にこういうことを考えたときのメモには「外国人観光客向けの事業は伸びそう!」と記してある
個体としての物理スペックが高くないと感じるので、工夫をこらして生きていきたいねぇ
最近、60 代 70 代の人と話していて、新しいことに挑戦している話を聞かせてもらってうれしかった そういう人々から見ると、アラフォーの自分なんて「若者」「若輩者」なんだよなあ 守りに入るのは数十年後でいいな
稼ぐため、というよりは人生を豊かにするため、って気持ちかなあ
多様な経験は人生を豊かにしてくれると考えている
公助が行き渡らないときに「じゃあ、自助で」となる社会はあまりにも厳しい